オリヴァー・マークソンが贈る「音楽の道」へのエール ── 楽譜に込められた想いを受け取り、自分らしい音を響かせる:東京ピアノコンクールを終えて

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ロンドン生まれのピアニスト、オリヴァー・マークソンさん。その柔らかな語り口の奥には、「音楽は呼吸と同じくらい自然なものであるべき」という、音楽への深い愛情と信頼が流れています。手塚治虫の「火の鳥」や松尾芭蕉の「俳句」を愛し、日本とヨーロッパの感性を結ぶ先生にとって、コンクールは順位を競う場ではなく、一人ひとりの「音楽の旅」を応援する場所です。

今回のインタビューでは、審査を通して出会った才能への温かな賛辞とともに、日々の練習を「神聖な時間」に変えるための心の持ち方を伺いました。今を懸命に弾く人、そしてこれから音楽の道を歩むすべての人へ。先生が贈る、優しくも大切なメッセージをお届けします。


取材・文|編集部

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プロフィール

オリヴァーマークソン先生

オリヴァー・マークソン(Oliver Markson)公式サイト
ピアニスト・作曲家・音楽芸術博士(DMA)

ロンドン生まれ。音楽家の一家に育ち、10代でドビュッシーの音楽に深く心打たれピアニストの道を志す。英国王立音楽院、マンハッタン音楽院等を経て、ニューヨーク市立大学大学院センターにて博士号を取得。タチアナ・サキソーヴァ、ダグラス・フィンチ、ジェラルド・ロビンス、B.フラヴィニー、U.オッペンスの各氏に師事。

芸術探求(ライフワーク):哲学、芸術、スピリチュアルに関する執筆活動のほか、絵画制作や詩作にも親しむ。多角的なアプローチから、芸術の真理を日々探求し続けている。

演奏活動:イギリス、メキシコ、アメリカ、中国、日本など世界各地で活動を展開。メキシコの主要オーケストラとの共演のほか、藤川真弓(Vn)、リチャード・マークソン(Vc)、ニナ・バーマン(Sop)らと共演を重ね、ミッテンヴァルトよりCDをリリース。

作曲活動:日本文化とフランス印象派を融合させた独自の作風を確立。松尾芭蕉の「俳句」や手塚治虫の「火の鳥」に着想を得た作品で高い評価を得る。2027年には英トッカータ・クラシックより新作CDをリリース予定。

教育・研究:博士課程より着手したメトネル研究を軸に、芸術における「主題」と「内容」の理想的関係について講義も精力的に行っている。現在、ロンドンのイーストハムステッド教会音楽監督、およびストーク・ニューイントン学校にて後進の指導にあたっている。

第16回東京ピアノコンクールを終えて

東京ピアノコンクール審査員の先生方
ⓒ東京ピアノコンクール事務局

──第16回東京ピアノコンクールで審査を終えられてのご感想を教えてください。例年と比較し、全体としてどのような印象を受けましたか?

オリヴァー・マークソン
出場者の皆さんの熱意には心打たれるものがありました。昨年から継続して参加された方の進歩も拝見でき、全体として非常にレベルの高い演奏が続いていたと感じています。

個人的には、今回2台ピアノ部門で優勝されたペアの演奏に強く心を惹かれました。ラヴェルの『スペイン狂詩曲』より〈祭り〉を披露されたお二人は、あらゆる面で素晴らしい印象を残してくれました。他の奏者と競い合ったり、審査員を意識したり、あるいは単に課題をこなそうとしたりする雰囲気が全くなく、芸術的な意志が自由に表現された、純粋なパフォーマンスでした。

また、コンクールの一環として行われた、前年度グランプリ受賞者・浅野由紀さんのリサイタルも特筆すべきものでした。彼女はグラナドス『ゴイェスカス』に潜むテーマの複雑な相互関係を、豊かな想像力と深い洞察で解釈していました。非常に明確な芸術的ビジョンを持ち、思慮深い演奏を聴かせてくれたその姿は、本当に素晴らしいと感じました。

──東京ピアノコンクールの特徴や強みは、どのような点にあるとお考えですか? 

オリヴァー・マークソン
本コンクールは、全体として非常に高い水準を維持しながらも、あらゆる段階にあるピアニストが『次のステップ』へと成長できるよう、導き手としての役割を強く意識されていると感じます。

世の中には、時に厳しい雰囲気に満ちたコンクールも見受けられます。しかしそうした場は、音楽を誰かと分かち合うという本来の自然な姿から奏者を遠ざけ、落胆させてしまうことになりかねません。

理想的なコンクールとは、誰もが楽器を通して自然に自分を表現でき、その挑戦がさらなる研鑽への励みとなるような環境であるべきです。東京ピアノコンクールは、まさにこの理想を体現しています。

主催者や審査員一同、参加者の皆さんを温かく迎え入れたいという気持ちでおります。ご自身の演奏はもちろん、他の方々の演奏を聴き、審査員の講評を糧にすることで、皆さんには自らの音楽性を最大限に伸ばしてほしいと心から願っています。

── 審査の際、先生が特に注視されたポイントについてお聞かせください。技術や音楽性、あるいは個性など、どのような要素を重視されましたか?

オリヴァー・マークソン
今挙げられた要素はすべて重要ですが、私はそれぞれのパフォーマンスを一つの『有機的な全体』として捉えるようにしています。

演奏を聴くという体験は、誰かと初めて対面した時に受ける、あの直感的な第一印象に似ています。その瞬間に働く直感は、言葉で説明し尽くす前の、その人物が持つありのままの輪郭を鮮明に描き出してくれるからです。

もちろん、個々の技術や音色といった要素は大切です。しかし、それだけでは十分ではありません。それらが互いにどう組み合わさり、より深い感情的・心理的、そして精神的な広がりを持つ『対話』へと昇華されているか。その先に立ち現れる『芸術的意志の大きさ』こそが、最終的に最も重要なのだと考えています。

──先生ご自身も若い頃から多くのコンクールに挑戦された経験をお持ちだと思いますが、その経験はご自身の成長やキャリアにどのような影響があったと感じていますか?

オリヴァー・マークソン

若い頃は、その時に師事していた先生によって、コンクールに挑む時期とそうでない時期がありました。ある先生は、他者との競争に惑わされることなく、個人の着実な成長に重点を置く指導を好まれました。一方で、コンクールでの経験を通じて自信を深めることを強く支持してくださる先生もいらっしゃいました。

後者の先生のおかげで、ヨーロッパピアノ教育者協会(EPTA)コンクールをはじめ、地元のいくつかのコンクールで成果を収めることができました。それらの経験は、当時の私の自信を少なからず支えてくれましたし、また他の音楽家の方々に私を知っていただく(紹介される)貴重な機会にもなりました。

──審査をする上で大切にされていることや、参加者への講評やアドバイスを書く際にどのようなことを心がけていますか? 

東京ピアノコンクール審査員の先生方
ⓒ東京ピアノコンクール

オリヴァー・マークソン
私たちは審査の際に一つの演奏だけを聴いているのではありません。そこには二つの演奏が存在しています。一つは『現在の演奏』、そしてもう一つは『将来、実現し得る演奏』です。

楽器や音響環境の違い、そして何より奏者自身の理解や技術、人間的な成長によって、音楽はさらに花開く可能性を秘めています。ですから講評は、現在の演奏を認めつつ、その先にある『さらなる高み』への進歩を支援するものでなくてはなりません。

そのため私は、短期的に取り組めるアドバイスと、長期的に取り組むべきアドバイスを組み合わせて伝えるよう心がけています。ここで重要なのは、その二つをしっかり区別して受け止める責任は、奏者自身にあるということです。 次の予選や本選といった目先の目標だけを気にしていると、音楽家としての本質的な成長に関わる長期的なアドバイスにパニックを起こしてしまったり、あるいは無視してしまったりする恐れがあるからです。どちらも等しく大切であり、その使い分けが非常に重要です。

自身の音楽的意志を人前で表現するには、大きな勇気が必要です。そこに至るまでの膨大な練習と献身の積み重ねがあるからこそ、その演奏は『神聖な行為』と呼べるものに近づいていくのだと思います。私は一人一人の演奏を聴けることを、一人の音楽家として大きな特権だと感じています。

──「技術的に上手い」だけでは届かない、聴き手や審査員の心に深く残る演奏とは、具体的にどのようなものでしょうか?

オリヴァー・マークソン
それは、『技術』という言葉をどのような意味で捉えるかによって異なります。もし技術を単に正確に、あるいは速く弾く能力のことだと考えるならば、それは車のエンジンのような機械的な力に過ぎません。それ自体は不可欠な要素ですが、それだけで芸術的な表現が生まれることは決してないのです。

私は、技術とは『芸術的表現そのもの』を包含するものだと考えています。心理的、感情的、そして精神的な意志を持ってフレーズを音楽的に形作ることは、一種の高度な技術です。これはシンプルな旋律から、技巧的で複雑なパッセージに至るまで、音楽のあらゆる局面に当てはまります。

心からの意志が伴わなければ、音楽は存在し得ません。この純粋な意志こそが、音楽の魂として輝き出るべきものです。したがって、真の意味での技術とは、その「生きた音楽表現」を創り上げる能力のことだと言えるでしょう。

しかし、このプロセスにはさらに奥深い側面があります。奏者である私たちには、作曲家の意図を解釈するという役割があります。楽譜を緻密に研究することは極めて重要ですが、同時に『ただ楽譜に従うだけでは、音楽は成立しない』という事実を認識しなければなりません。

なぜなら、楽譜というものは、作曲家の想像力の中にのみ存在した最も純粋な形を、完全な姿で映し出すことはできないからです。

その不完全な紙面から、作曲家の音楽的意志を直感的に汲み取り、演奏をより純粋な形へと近づけていくこと。それが私たちの仕事です。自分自身の音楽的意志と、作曲家の意志が重なり合った時、表現は真に具体化されます。それこそが『音楽解釈』の本質であり、奏者が持つ解釈の力こそが、聴き手の心に残る芸術性において最も重要な要素なのです。

── 本番で100%の力を発揮するための「練習の質」や、ステージでの「集中力」の保ち方について教えてください。

オリヴァー・マークソン
まず大切なのは、コンサートホールだけを特別な『舞台』だと考えないことです。歴史を振り返れば、音楽は応接室やバー、レストランなど、あらゆる場所で奏でられてきました。他者のために音楽を表現するという行為は、呼吸と同じくらい日常的で、自然なものであるべきなのです。ですから、どんな状況であっても、誰かのために楽器を弾く機会を十分に持つようにしてください。

練習には、音楽との最初の出会いから本番の演奏まで、多くの段階があります。実は『演奏すること』自体も練習の重要な一部です。ですから、日々の練習の中でも常に『演奏』をしていなければなりません。すべての練習は、パフォーマンスの本質である『音楽的意志』に向かって進むべきなのです。演奏における気高い精神を呼び起こすのは、まさにこの意志に他なりません。

残念なことに、機械的な練習に終始しながら、『なぜ自分の演奏は機械的なのか』と悩む人が少なくありません。多くの人は、楽譜上の音符を二次元的なものとして急いでさらおうとします。それはまるで、文章の意味を理解しないまま、単語をアルゴリズム(機械的な手順)として学んでいるようなものです。

『音楽性は後から加えればいい』という考えはあまりに単純です。その方法では、音符を覚える段階で『音楽的意味を排除した練習』を優先してしまっています。それは、命のない表現を追求する準備をしているに過ぎません。後から音楽性を注ごうとするのは、いわば死んだものを蘇生させようとするようなものです。そこに至るまでに、音楽家として本来望んでいたこととは真逆の練習に費やした時間は、取り戻すことができないのです。

そうではなく、最初から音符を『フレーズ』の文脈で捉え、フレーズを『和声(ハーモニー)』の文脈で捉え、和声を『作品全体の表現』の文脈で捉えてください。そして音楽の表現を、芸術の根底にある『言い表しがたい精神』の文脈で扱うのです。

このように音楽と向き合うことで初めて、神聖なものの設計図(青写真)に接するかのような敬意を持って、楽譜や楽器を扱うことが可能になります。そうすれば、練習の第一歩から真に音楽的な探究が始まり、音楽的意志はあなたと共に成長していきます。そして舞台に立ったとき、その意志こそが、あなたの『演奏精神(演奏を導く精神)』を呼び起こしてくれるはずです。

── コンクールでの「選曲」についてアドバイスをお願いします。自分の良さを活かすためには、どのような視点で曲を選ぶべきでしょうか?

オリヴァー・マークソン先生

オリヴァー・マークソン
どのような曲であっても、不完全な理解から出発し、練習を通じて少しずつ積み上げていくプロセスは非常に大切です。しかし、最終的にその作品に対して何の感情も抱けない、あるいは否定的な気持ちがある場合、良い演奏をすることは不可能だと思います。

奏者が抱く作品への『愛情』は、作曲家のメッセージと、奏者自身の感情・心理・精神的な理解が直感的に繋がっていることを示す、最高の指標となります。その直感を演奏として具現化するまでには膨大な作業が待っていますが、作品への情熱が深いほど、最終的に自分自身の強みを最大限に引き出せる可能性が高まります。

そこで判断基準となるのが、『その曲を仕上げるまでに、どれほどの時間を要するか』です。 短期間で達成できるのであれば、すでに自分の強みを発揮しやすく、かつ好みの曲を選ぶのが良いでしょう。もし、現時点での自分の限界を遥かに超えている曲であれば、コンクールのためには別の作品を選ぶというのも一つの勇気です。

私は、奏者のレベルに応じて、二つの選択肢を使い分けることをお勧めします。 一つは『自分を激しく追い込み、挑戦するために学ぶ曲』。 もう一つは『現時点で自分ができる最高の表現を示すために学ぶ曲』です。 この両方を持つことが、音楽家としての成長には欠かせません。もちろん、どのような難易度の作品であっても、正しい方法で真摯に向き合うことさえできれば、そのすべてがあなたにとって価値ある挑戦になるはずです。

──東京ピアノコンクールへの参加を検討している方、そして音楽を志すすべての方々へ、最後にメッセージをお願いします。

オリヴァー・マークソン
コンクールは、自分自身を試し、技術を磨き、時にはより大きな舞台へと羽ばたくための、非常に健全な手段となり得ます。しかし、演奏という芸術は極めて内面的なものであり、個人の成長において『今がその時か』というタイミングも重要です。参加を通じて何を達成したいのか、まずはご自身の心と向き合ってみてください。

東京ピアノコンクールは、音楽の道を歩み始めたばかりの方から、プロとしてさらなる高みを目指す方まで、あらゆる段階のニーズに応えるチャンスを提示してくれます。主催者の方々は、温かな歓迎の精神と、人々の向上を心から支援したいという真摯な願いによって、他にはないユニークな場を創り上げたと私は感じています。

最後にお伝えしたいのは、『音楽のキャリア』よりも遥かに大きく奥深い、『音楽の道』についてです。 世の中には、音楽への深い情熱を持たずにキャリアだけを追い求める人もいますが、それはあまりにも勿体ないことです。キャリアがなくとも『音楽の道』を歩むことはできますが、その道を無視して、真に意味のあるキャリアを築くことはできないからです。

もし、あなたがこの道に呼ばれたと感じるなら、それは最高に名誉ある、高貴な道です。それは、現代社会において加速する非人間化、機械化、そして自動化やロボット化されたものすべてに対する、『最後の防衛線』であると考えてもよいでしょう。

なぜなら音楽は、人間を人間たらしめる本質から生まれるものだからです。音楽を追求することは、自分自身を見つけ出すことであると同時に、他者へとインスピレーションを届けることでもあります。そんな道を歩む皆さんを、私はこれからも心から応援し続けています。

ⓒ東京ピアノコンクール

インタビューを終えて──編集後記

先生の伝えてくださった言葉たちを整理しながら、何度も胸が熱くなるのを抑えられませんでした。オリヴァー先生の言葉は、まるで一音一音を慈しむピアノの旋律のように、優しく心に染み込んでくれるように触れてくれたからです。

特に、今の不完全ささえも「未来へ花開くプロセス」として肯定する先生のまなざし。そして、その哲学と響き合うように「一人ひとりの向上を支援したい」と願う東京ピアノコンクールの真摯な姿勢に、私自身が深く救われた気がします。

執筆や絵画を通じても芸術の真理を探求し続けておられる先生。その奥行きのある精神世界に触れ、世界が少しだけ光に満ちた場所に変わったような気がしています。この記事が、誰かの「音楽の旅」を照らす、温かな光となることを願ってやみません。オリヴァー・マークソン先生、お忙しいところ素敵なお話をありがとうございました。

第16回東京ピアノコンクールの概要については下記をご覧ください

第16回東京ピアノコンクールの入賞者一覧については下記をご覧ください