なぜ今、「日本奏楽コンクール」に挑戦するのか ── 入賞者と審査員が語る『本音の対話』の先にあるもの

音楽家にとって、コンクールとは何だろうか。

冷淡なスコアで順位を競い、自身の実力を無機質な数字で推し量る場。あるいは、さらなる高みを目指すための、孤独な修行の場。そう捉えている表現者は少なくないはずだ。

しかし、その一方で、たった一度のステージが奏者の運命を劇的に変え、停滞していた音楽人生に眩い光を射し込む瞬間がある。

「日本奏楽コンクール」。
ピアノ、声楽、弦楽器、管楽器、さらにはアンサンブルと多岐にわたる部門を設ける本コンクールは、その名の通り、何よりも『奏楽(音楽を奏でる)』という行為そのものの純粋な研鑽を重んじている。

今、この場所から世界やプロへの扉を叩く才能が次々と生まれている。
なぜ、数多あるコンクールの中で、この舞台が選ばれるのか。そこには、単なる評価を超えた「音楽への敬意」と、奏者の未来を共に育もうとする「温かな眼差し」が存在していた。

本記事では、審査員や入賞者たちがこの舞台で見つめた景色を通じ、今、音楽家たちが「日本奏楽コンクール」を求める本当の理由を紐解いていく──。


取材・文:音楽コンクールガイド編集部

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<取材協力者>


審査員:マインハルト・プリンツ

オーストリア、ケルンテン州出身。
16才でオーストリア青年音楽コンクール第一位を獲得し、特別賞としてハンガリー国立リスト音楽院に給費留学生として招待される。
その後更にオーストリア国立ウィーン音楽大学を最優秀賞を得て卒業し、以来、同大学で教鞭を取る傍ら、世界各地で演奏活動を続ける。
それらはピアノソロ演奏にとどまらず、数多くの国際的ソリストとのアンサンブル、ウィーンフィルメンバーとの室内楽等でも知られ、その幅広いレパートリーは高い評価を得ている。

声楽:新堂 由暁(テノール)

東京藝術大学卒業。『セルセ』タイトルロールで二期会デビュー。東京二期会オペラ劇場 NISSAY OPERA 2023 提携『午後の曳航』(宮本亞門演出)では主人公・登を演じる。その後も、大宮ソニックシティ『平家物語』(世界初演)高倉帝など、話題作への出演を重ねている。また、『ディズニー・オン・クラシック』に、2020 年から毎シーズンヴォーカリストとして参加し、これまで計 100 公演以上に出演。二期会会員。第93回日本音楽コンクール第5位、第4回日本奏楽コンクール第1位および準グランプリなど受賞多数。

アンサンブル:Duo OZAWA(小澤傳枝・叶惠)

共に桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部卒業。傳枝はアントン・ルービンシュタイン・アカデミー(ドイツ)及びイタリア国立ラ・スペツィア音楽院修士課程を、叶惠はドイツ国立リューベック音楽大学修士課程を修了。2018年よりピアノデュオとして本格的な活動を開始。日本奏楽コンクール第1位および全部門準グランプリ、カナダやスイスの国際コンクール第1位など、国内外で多数の受賞を重ねる。2022年発売のデビューCD『Blessing』は、レコード芸術誌で「準特選盤」に選出。ピアノデュオドゥオール 藤井隆史、白水芳枝の両氏に師事。

主催:日本奏楽コンクール審査委員会

2018年に創設された、演奏者のためのコンクール。ピアノ、声楽、管弦楽、アンサンブルなど多岐にわたる部門を設け、子どもから大人、アマチュアまで幅広い層を対象としている。国内外の音楽家による多角的かつ国際的な審査・講評が特徴で、優れた才能の発掘と育成、音楽文化の振興を目的とする。

目次

音楽の語源に立ち返る──「競争」の先にあるもの

©日本奏楽コンクール

「コンクール」という言葉の語源を辿れば、そこには「競争」という意味が厳然と存在する。しかし、日本奏楽コンクールが目指すのは、その先にある「奏楽(音楽を奏でる)」という行為への純粋な立ち返りだ。

主催である日本奏楽コンクール審査委員会は、創設の想いをこう振り返る。

「国内外に多くのコンクールがありますが、楽器名や『音楽』を冠するのではなく、演奏の意義そのものを主体とした場所はなかなかありませんでした。順位をつけること以上に、奏者一人ひとりの表現に焦点を当てたかったのです」

この理念は、審査員を務めるウィーン国立音楽大学で長年教鞭を取ったプリンツ先生の哲学とも共鳴している。プリンツ先生は、コンクールの真の在り方をこう説く。

「結果が気にならないと言えばウソになりますが、成績はあくまでその時点での出来栄えであり、音楽家としての最終目標ではありません。大切なのは、その時の自分を冷静に受け止め、次に向かって勉強すること。その意味で、ここを糧に何度も挑戦してくださる方々がいるのは、審査員として本当に嬉しいです」

また、本コンクールがピアノだけでなく、声楽やアンサンブルなど多様な部門を設けている点についても、プリンツ先生は音楽教育の視点から大きな意義を見出している。

「音楽はどの部門であれ共通する一つの世界。他の楽器や声楽を知らずに語ることはできません。若い時から様々なジャンルの音楽に触れ、多彩な音の世界を体験して、”良い耳”を育ててほしいと思っています」

とりわけピアニストに向けては、「ソロに留まらず、室内楽や伴奏を通して学ぶことがたくさんある」と、アンサンブルを学ぶ重要性を強調する。

「日本奏楽コンクール」は単なる選別の場ではない。ジャンルの垣根を超え、奏者の『未来』を共に信じ、育み続けるための舞台なのだ。

五反田文化センターという「対話の場」──自分の音と向き合うために

五反田文化センター
出典:品川区立五反田文化センター

そんな挑戦者たちを惹きつけてやまない大きな理由の一つが、本選の舞台となる「五反田文化センター」だ。

プリンツ先生は、このホールの特性を「演奏者が自分の音の行方を見失わない程度の空間、かつ響きの素晴らしいホール」と称賛する。広大すぎる空間では、時に自分の放った音がどこへ消えたか分からず、不安に駆られることもある。しかしここは、奏者が極限まで集中力を高め、日常を超えた音楽体験を得るための「理想的なスケール」を保っているのだ。

このホールの存在は、特に繊細な共鳴を必要とする声楽家にとっても、大きな指針となる。同コンクールの入賞者であり、テノールの新堂由暁氏は語る。

「声楽はいかに空間に音を共鳴させるかが肝心です。都内屈指の音響を誇るこのホールは非常に歌いやすく、自分の技術が空間にどう溶け込んでいくかを確認できる。表現者としての純粋な喜びを感じさせてくれる場所です」

日常とは違う、凛とした静寂。自分の音が空間と呼応し、確かな手応えとして戻ってくる。この『最良の対話』を可能にする環境があるからこそ、奏者は自分自身の音楽の輪郭をはっきりと捉え、次なる一歩を確信できるのだ。

多角的な「眼差し」が教える、音楽の根幹と課題

日本奏楽コンクール

しかし、環境が良いだけでは「飛躍」は生まれない。
本コンクールの核心は、国内外の第一線で活躍する審査員陣による、多角的で質の高いフィードバックにある。その多彩な視点の一翼を担うプリンツ先生は、本コンクールの審査において重視しているポイントを次のように語る。

「私はまず音楽性、テクニック的な正確さ、そしてそれらをステージ上で表現できる力の有無を重視して聴いています。楽譜に忠実であることは言うまでもありませんが、それらを越えた先にあるもの、ppからffまでの様々な音色の幅を感じ取った、内容深い演奏を目指していただきたい」

プリンツ先生が説くのは、ステージという実践の場でこそ得られる「気づき」の重要性だ。

「練習の成果を人前で発表する習慣を持つことで、初めて見えてくるものがあります。そこから”楽譜には書いていないこと”にまで気付けるようになれば、音楽はより深くなっていく。日本の音楽レベルは国際的にも高い評価を得ていて、テクニックのレベルも上がっています。しかし、表現力という点ではもっと自由に、フレキシブルな発想の豊かさが加われば、さらに素晴らしくなるはずです」

こうした「技術の先にある表現」を正当に評価する姿勢は、日本の音楽教育の現状に対するプリンツ先生の深い敬意と、さらなる発展への願いに根ざしている。

この「多角的な視点」に救われたのが、声楽部門より挑戦した新堂氏だった。

「日本以外にも活動拠点を持つ先生方が、ご自身の言葉で丁寧な講評を届けてくれました。声を出すことばかりに注力しがちだった当時の私にとって、和声感をはじめとする『音楽的な課題』を、ごまかしのきかない文章で突きつけていただいた。それは、自分の音楽の根幹を見つめ直す、非常に有益な気づきとなりました」

国内外の伝統と、現代の演奏シーンを知り尽くした審査員による多言語・多視点のフィードバックは、参加者にとって、日本にいながらにして世界基準の座標を確認できる、何物にも代えがたい機会となっている。

挑戦のハードルを越えて ── 「今」を刻むための舞台

日本奏楽コンクール

新堂氏がこの舞台に立ったとき、彼は30代前半。演奏家としての経験を積み、次なるステップを模索する時期でもあった。

「国内外の主要なコンクールの多くには年齢制限が設けられており、当時30代前半だった私にとっても、挑戦の機会は限られつつありました」

それまでコンクールに対しては必ずしも積極的ではなかったという新堂氏。そんな彼の背中を押したのは、本コンクールが掲げる「課題曲の自由度の高さ」だった。

「久しぶりに、今の自分の演奏がどのような評価を得られるのかを知りたい。そう思い、挑戦を決めました。実力以上のものは出せないと、良い意味で諦めて臨んだ結果、ここで得た客観的な評価が、のちに日本音楽コンクールへ挑戦する大きな原動力になったのです」

大規模なコンクールでは、予選から本選まで膨大なレパートリーの網羅が求められ、その準備負担は計り知れない。しかし、自身の「今」一番自信のある作品で勝負できる日本奏楽コンクールの門戸は、キャリアを重ねた奏者にとっても、純粋に実力を試せる貴重な機会として映ったのだ。

だが、新堂氏はコンクールの甘美な側面だけを語るわけではない。

「演奏会とコンクールには、埋めようのない隔たりがあります。プレッシャーやストレスを単純に『楽しみ』へと昇華するのは容易ではありません。しかし、その過酷な場へ自ら飛び込み、作品と向き合った経験こそが、声楽家にとって不可欠な財産となるのです」

年齢という数字に縛られることなく、一人の表現者として己の限界に挑む。その「逃げ場のないステージ」を乗り越えた先にしか見えない景色があることを、彼の飛躍が何よりも雄弁に物語っている。

そして彼は、次なる挑戦者たちへ希望のバトンを繋いだ。

「コンクールという目標に向けて研鑽を積むことは、声楽家にとって命とも言える『レパートリーの拡大』に直結します。初めて挑戦する方も、すでに経験を積まれている方も、ぜひ今自分が一番力を注いでいる作品と共にこの舞台に立ってほしい。その経験は必ず、あなた自身の揺るぎない糧となるはずです」

アンサンブルが解き放つ、表現者の自由

日本奏楽コンクール

ソロだけではない。日本奏楽コンクールが並々ならぬ情熱を注いでいるのが「アンサンブル部門」だ。そこには、一人で奏でる世界とは異なる、二人で一つの音楽を編み上げていく、豊かな響きの対話が流れている。

ドイツ留学を終えて帰国し、姉妹デュオとして新たな道を模索していたDuo OZAWA(小澤傳枝・叶惠)の二人は、この舞台でアンサンブルのさらなる可能性に触れたという。

「2018年にデュオを結成し、数年間の演奏活動を経て迎えたのが第3回大会でした。当時は、より完成度の高いアンサンブルを目指し、二人で試行錯誤を積み重ねていた時期。だからこそ、会場で自分たちの名前を呼ばれた瞬間は、それまでの努力が報われた実感を伴い、格別の喜びがありました」

二人が強調するのは、技術を超えた先にある「お互いへの信頼」だ。その難しさと正面から向き合い、二人で積み上げてきた時間。それが本番のステージで、デュオだからこそ成し得る「自由な演奏」へと昇華された。

「キャリアを積むほどに、客観的なコメントをいただける機会は少なくなっていくものです。そんな私たちにとって、予選から先生方おひとりおひとりからいただいた丁寧なご講評は、大変ありがたい経験でした。自分たちの良い点も課題点も、真摯に受け止めていただけたことが、活動を続けていく大きな自信に繋がったのです」

本コンクールでの結果が、海外コンクールへの挑戦や演奏活動、CDリリースに繋がったと二人は語る。

アンサンブルとしての完成度を、経験豊かな先生方が真正面から受け止めてくれる。審査員との『対話』も、本コンクールの大きな魅力であることは間違いない。

なぜ彼女たちは、一度優勝しても「戻ってきた」のか

日本奏楽コンクール
©日本奏楽コンクール

注目すべきは、Duo OZAWAが連弾で第1位を獲得した後、翌年に再びエントリーした事実だ。しかも、経験の浅かった「2台ピアノ」で。

「2台ピアノのコンクールは数が少なく、非常に貴重な機会でした。自由な選曲で、自分たちが一番学びたい作品を演奏できる。それが演奏力の向上に直結しました」

この結果、第1位とアンサンブル賞だけでなく、全部門における準グランプリも受賞し、翌年の受賞記念コンサートへも出演を果たす。

プリンツ先生も「ピアニストはソロに留まらず、室内楽や伴奏を通して学ぶことがたくさんある。このコンクールが優秀な伴奏者に『伴奏者賞』を授与しているのは、非常に意義深い」と評価する。

一度きりの栄誉で終わらせない。「学びの場」として機能し続けるからこそ、実力者たちがこの舞台に戻ってくるのだ。

「アンサンブル部門は、先生方からの丁寧な講評、そして音響の素晴らしい会場での本選と、演奏者にとって理想的な環境が整っています。何より、予選から本選まで自分たちが一番学びたい作品を自由に選んで参加できることが大きな魅力。ここで作品と深く向き合う経験は、確実に演奏力の向上に繋がります」

実体験に裏打ちされたDuo OZAWAの二人の言葉は、新たな挑戦者へ向けた最高の招待状となるに違いない。

徹底した「奏者ファースト」の舞台裏

日本奏楽コンクール
©日本奏楽コンクール

これらのドラマを支えているのは、審査委員会(事務局)による温かな配慮と洗練された運営システムだ。事務局の方々は「特別なことはしていない」と謙遜するが、その仕組みは、他のコンクールには類を見ないほど奏者の実情に寄り添っている。

まず、多くの受験生を驚かせるのが、「本選曲を審査の1週間前まで変更可能」という驚異的な柔軟性だ。練習の進捗や仕上がり具合に不安を抱える奏者にとって、これほど心強いルールはない。

また、予選を動画審査へ移行したことも、単なる効率化ではない。

「遠方にお住まいの方の移動負担を軽減しつつ、より丁寧なメール講評を深めるための決断でした。参加料も各審査ステージごとに分けるなど、無駄のないシステムを目指しています」

さらに特筆すべきは、徹底したプライバシーへの配慮だ。参加者の氏名や点数は原則として公表されず、本選の最終結果のみが発表される。「結果が出なかったら恥ずかしい」「周りの目が気になる」という心理的な壁を、この仕組みが確実に取り払っている。

「審査員の先生方は、数年前の参加者の成長を覚えていらっしゃることもあります。事務局も、ただ点数をつけるだけでなく、皆様が安心して自分の音楽に集中できるよう、陰ながら支えたい。コンクールという冷たい空気感ではなく、温かいエールを送るスタッフ一同で、皆さんを迎えたいと思っています」

事務局のこの言葉に集約されているのは、『一度のステージで終わる関係ではなく、表現者の長い歩みにどこまでも並走し続けたい』という真摯な決意。これこそが、本コンクールが多くの奏者から信頼を寄せられる最大の理由だろう。

あなた自身の可能性に気がつく夏へ

コンクールの結果は一つの通過点。けれど、そこへの挑戦は確実に自らの糧になる

今回お話を伺った新堂氏、Duo OZAWA(小澤傳枝・叶惠)、そしてプリンツ先生。立場も楽器も異なる三者が共通して口にしたのは、この舞台が順位を競う以上の「気づき」を得られる場所であるということだった。

プリンツ先生は、コンクール挑戦を悩んでいる人々に、次のような励ましの言葉を寄せている。

「コンクールの成績は、良くても悪くてもそれは長い音楽家人生の一つの通過点でしかありません。その点は小さいお子さんからプロ、アマチュアの方たちでも変わりはありません。真の目的はそこから得たものをどう今後に生かし育てていくか、自分の音楽の弱点は何かを知ること。音楽の世界を広げる一つの手段として、果敢に挑戦していただきたい」

その挑戦を支える事務局もまた、同じ想いで門戸を広げている。

「コンクールというと冷たい空気感やプレッシャーを感じてしまうかもしれませんが、本コンクールは審査員の先生方とともにスタッフ一同、温かく皆さんを迎え、参加者の方々の成長を期待し、応援しています。今年も皆さんの様々な演奏に出会えることを楽しみにしています」

日本奏楽コンクールは、単に奏者をランク付けする場所ではなく、一人ひとりの音楽家が自分自身の可能性と改めて向き合うための、一つの「指標」のような場所なのかもしれない。

もし今、あなたが新しい一歩を踏み出すきっかけを探しているのなら、今年の夏に、五反田文化センターの美しい響きの中に飛び込んでみることを強くおすすめしたい。

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