指揮者の小林雄太が、イタリアで開かれた第14回グイド・カンテッリ国際指揮者コンクール(Guido Cantelli International Conducting Competition)で第2位に入賞した。本選は2026年10月4日(日)にノヴァーラで行われた。第1位は中国のフェイファン・ジャン(Feifan Jiang)、第3位はイタリアのマウロ・マリアーニ(Mauro Mariani)。
本選と入賞者
本選の会場はテアトロ・コッチャ(Teatro Coccia)。公開の演奏会として、決勝に残った4名がそれぞれ別の曲目でミラノ交響楽団(Orchestra Sinfonica di Milano)を指揮した。小林雄太の曲は、R.シュトラウス『ドン・ファン』Op.20。
ドヴォルザークの交響曲第9番は2人で分け合い、マリアーニが第1・2楽章、ジャンが第3・4楽章を担当した。決勝に残った4人目、イタリアのジョヴァンニ・ファニッツァ(Giovanni Fanizza)は、ベッリーニ『ノルマ』序曲などで臨んだ。
25歳のジャンは、6つある特別賞のうち批評家審査員賞やミラノ交響楽団賞など5つを手にした。マリアーニには市民審査員賞が贈られた。マリアーニは同じ年の8月、ひろしま国際指揮者コンクールでも第2位(第1位なし・2名が第2位)に入っていた。
賞金は第1位が12,000ユーロ、第2位が8,000ユーロ、第3位が5,000ユーロ。入賞者と特別賞の一覧は公式サイトに掲載されている。
大会の概要
大会は10月1日(木)にミラノで開幕。3日(土)までの予選と準決勝で、出場者19名が8名、さらに4名へと絞られた。19名のうち、日本からの出場は小林雄太ただ1人。
審査員は8名で、委員長は1980年の第10回で優勝したドナート・レンツェッティ(Donato Renzetti)が務めた。日本からは、藤沢市民オペラ芸術監督の園田隆一郎が加わった。
小林雄太の経歴と今後の公演
小林雄太は1997年、新潟県長岡市生まれ。奨学金の給付を受けて東京音楽大学指揮科に入学し、広上淳一、田代俊文、増井信貴、下野竜也に師事した。
卒業と同時に、日本製鉄文化財団の若手指揮者育成支援制度(2021年度)に合格。指揮研究員として、紀尾井ホール室内管弦楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団で経験を積んだ。
2022年10月から2026年3月までは、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者。2025年10月には、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で首席指揮者カーチュン・ウォンの補佐も務めた。
国際コンクールでは、2023年の第58回ブザンソン国際指揮者コンクールで20名の本大会に出場した。最新の活動情報は本人の公式サイトで発信されている。
直近では、10月11日(日)15時30分から、静岡県の小山町総合文化会館 金太郎ホールで東京佼成ウインドオーケストラの小山町公演を指揮する。
12月12日(土)は、アマチュア・オーケストラの新宿交響楽団による第72回定期演奏会に登場。会場は新宿文化センター大ホールで、14時開演予定。曲目はシベリウスの『フィンランディア』とヴァイオリン協奏曲(独奏・渡辺紗蘭)、チャイコフスキーの交響曲第5番。
コンクールの歴史
コンクールは1961年、ノヴァーラ出身の指揮者グイド・カンテッリ(1920〜1956)を記念して創設された。カンテッリはトスカニーニの後継者と見られながら、ミラノ・スカラ座の常任指揮者に任命された直後の1956年11月、航空機事故で亡くなった。2026年は没後70年にあたる。
歴代優勝者には、エリアフ・インバル(Eliahu Inbal、1963年)、リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti、1967年)、アダム・フィッシャー(Ádám Fischer、1973年)らが名を連ねる。
1980年の第10回のあと約40年の中断を経て、2020年からは2年ごとに開かれている。世界国際音楽コンクール連盟(WFIMC)の加盟大会。
日本人では、1971年の第6回で井上道義が優勝。1980年の第10回では、今村能が決勝に残った。




