それぞれの「頂」へ。──東京国際ピアノコンクールで響かせる、あなたにしか出せない一音

東京国際ピアノコンクール

コンクール会場の静寂。3歳の小さな手と、人生を重ねたマスターズ世代の指先が、同じピアノで同じ音を紡ぐ。東京国際ピアノコンクール(TIAA)の会場で目にするこの光景は、単なる「年齢層の広さ」を意味するものではない。それは、音楽という共通言語において、すべての世代が対等な一人の「表現者」として尊重されている証でもある。

「コンクールは、若きエリートのためだけの場所か?」

この問いに対し、東京国際ピアノコンクールが出した答えは極めて明快だ。本記事では、この舞台に深く関わる3人の視点を通じ、点数や順位の先にある「音楽との対話」の姿を伝える。


取材・文:音楽コンクールガイド編集部

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<取材協力者>


北野 裕司

審査員:北野 裕司 Kitano Yuji

大阪音楽大学教授。
モスクワ国立音楽院ピアノ科卒業。モスクワ国立音楽院大学院ピアノ科修了。ネイガウス流派のロシア奏法を基盤とし、各時代のピアノレパートリーの研究・演奏・指導に取り組む。2021年から久保美緒氏とのピアノデュオリサイタルを継続的に開催しており、2025年8月には第4回公演を豊中市立文化芸術センターで行う。第13回 東京国際ピアノコンクールでは大阪会場(准本選)の審査を担当する。

秋田 街子

指導者:秋田 街子 Akita Machiko

桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業し、同大学研究科を修了。卒業演奏会出演。コンクール受賞歴多数。日本各地にて演奏活動を行う他、現在は桐朋学園芸術短期大学非常勤講師、ならびに桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室「お茶の水教室」ピアノ科講師として後進の指導にあたる。第11回・第12回東京国際ピアノコンクールでは優秀指導者賞を連続受賞。全日本ジュニアクラシック音楽コンクールをはじめ、多数のコンクール審査員も務める。

櫛部 景子

参加者:櫛部 景子 Kushibe Keiko

第6回大会から連続で参加を続けるピアノ愛好家。第12回大会ではマスターズGの部第4位に入賞。

目次

3歳と60代以上が、同じピアノで「対話」する場所

東京国際ピアノコンクール

東京国際ピアノコンクールの大きな特徴は、その「門戸の広さ」である。

本コンクールは、3歳から参加可能な「キッズの部」を筆頭に、小学・中学・高校・大学の学年別部門、プロを目指す若手のための「プロフェッショナルの部」、そして18歳以上の愛好家が世代別に集う「マスターズの部」(F:18〜33歳/A:34〜49歳/G:50〜59歳/Z:60歳以上)まで、全15のカテゴリーで構成されている。もちろん、3歳と60代以上が同じ部門で順位を競うわけではない。しかし、彼らは同じステージに立ち、同じ審査員から、一人の「音楽家」としての真剣な講評を受け取るのだ。

「誰でも出られる」という言葉は、時としてレベルの懸念を抱かせるかもしれない。しかし、東京国際ピアノコンクールの思想は異なる。門戸を広げる目的は、レベルを下げることではなく、「音楽への誠実な情熱を持つすべての人に、国際基準の評価を届けること」にある。

未就学児が初めて人前で音を響かせる緊張も、仕事の合間に研鑽を積んだ大人が放つ一音も、ここでは等しく価値ある「表現」として扱われる。この公平な敬意こそが、設立以来、世代を超えて愛され続けてきた本コンクールのアイデンティティなのである。

審査員が採点表の余白に込める「明日への光」

東京国際ピアノコンクール
北野 裕司

審査員席に座る北野先生の視線は、演奏者の指先よりも、その奥にある「音」に向けられている。長年、東京国際ピアノコンクール大阪会場の審査を担当してきた北野先生は、近年の大きな変化を肌で感じている。

「コンクール全般に言えることかもしれませんが、低学年・低年齢層の参加者の技術的な、そして芸術表現における水準の向上が顕著にみられると感じます。舞台を怖がらず、心から楽しんで演奏する子供たちの姿に接すると、尊敬の念がわきます。もちろん、より上の年齢層の方の演奏も大変充実しています」

本コンクール最大の特徴である「全員への講評」。北野先生は、幼い参加者には「なるべく直接伝わるようなわかりやすい言葉で語り掛けるスタンス」をとり、素直な感想をわかりやすく伝えることを心掛けている。一方で、長年ピアノに取り組んできた大人の参加者には「まずその人が音楽とどのように歩んでこられたのかを想像し、共感しながら」ペンを走らせる。

年齢層を問わず、北野先生が講評の軸として貫いているのは「音」そのものだ。

「音楽はまず何よりも音の芸術です。聴き手の心に届く音とは、演奏者の作品に対する理解のみならず、共感の度合いをあらわします。演奏者の持つ音は名刺代わりであり、演奏の全体の印象をかたちづくるものと考えています」

北野先生にとって講評を書くという作業は、単なる感想の記述ではない。それは「感想を述べた上で演奏者の立場に立って、どのような工夫、配慮が演奏をさらに向上させることにつながるかを、私自身が言語化する作業」なのである。時には演奏の表現の意味や方向性を探るために集中力を高め、時には大きな共鳴に感謝しながら、北野先生は一行一行を書き上げる。

参加者がピアノと歩む、終わりのない旅の入口

東京国際ピアノコンクール
櫛部 景子

地元のピアノの先生から東京国際ピアノコンクールの存在を聞き、「サントリーホールの小ホール・ブルーローズが入賞者演奏会の会場に設定されていたこと」を動機に参加を決めた櫛部景子さん。第6回大会から連続して出場を続ける櫛部さんの背後には、単なる順位争いではない、生活と地続きの豊かな音楽生活がある。

地方在住の櫛部さんにとって、GWに予定される演奏会は、家族や愛犬を連れて東京へ向かう「年中行事」となっている。高齢で海外旅行への同伴が難しくなった愛犬と、ピアノ演奏を口実に休暇を兼ねて出かける──そんな日常と地続きの楽しみがそこにある。時には本番で大きなミスを経験し「次こそは」と奮起し、時には仕事を通じて知り合った方々が聴きに来てくれる喜びを糧にする。そんな積み重ねが、櫛部さんを舞台へと向かわせる。

日々仕事を持つ身として、櫛部さんの練習スタイルは極めて合理的かつ柔軟だ。

「無理に時間を作ろうとすることは敢えてせず、時間のある時に練習場である近所のホールやサロンでグランドピアノや自宅の電子ピアノを弾く。疲れている時や気が乗らない時は弾かず、好きなピアニストの演奏を聴く。ピアノに向かわなくとも頭や想像力を駆使して音楽を脳内で組み立て再現してみるとか、書物を読んだり自然に触れたり五感を鍛えたり等々で、それらを取り組んでいる作品に反映させてみたり」

限られた環境下で五感を研ぎ澄ませるその姿勢は、大人になって再開したピアノとの「新しい関わり方」そのものである。

そして、コンクールの舞台には、競争とは別の温かい交流もある。

「別のコンクールでも毎年のようにお見かけする方と、准本選や本選でご一緒することがあり、演奏前にのんびり歓談に付き合っていただいたり、出番前に励ましていただいたりしています」

長い年月を共に歩むからこそ生まれる、世代を超えた音楽仲間との連帯感。それもまた、マスターズの舞台ならではの宝物である。

櫛部さんにとって、東京国際ピアノコンクールの舞台は「後にも先にも自分の楽しみのため」であると同時に、「弾けば弾くほど面白さが増す曲を発掘し、終わりのない完成への道の入口に立つための前準備をするために審査員の先生方という第三者の専門家の意見をいただく場」という位置づけだ。

目標は、たとえ準備不足や失敗があったとしても、前向きな境地で舞台を終えることだ。

「『失敗したから、いつかリベンジするために弾き続けます』と執着するのではなく、『この曲とこれから果てしない音楽の旅に行ってきます、ごきげんよう!』とスッキリ言えるような演奏をしたい。そんな風に思えるところまで、自分の力を底上げできればいいなと思っています」

──そう語る彼女の言葉からは、コンクールを「点数による裁きの場」ではなく、「音楽との長い旅路の出発点」として楽しむ軽やかさが伝わってくる。

個性を生かし、一人ひとりの歩みを支える指導者

東京国際ピアノコンクール
秋田 街子

ピアノ指導者として、秋田先生が何よりも大切にしているのは「生徒さんとよく対話し、一人ひとりの個性を生かす指導」である。第11回、第12回と連続で優秀指導者賞を受賞した秋田先生は、音楽を学ぶことで生徒の人生がより彩り豊かなものになるよう、丁寧に指導に取り組んできた。

「緊張感の中でも固くなりすぎず、自分の力を発揮して音楽を楽しんでほしい」

──これは、秋田先生が東京国際ピアノコンクールの舞台に生徒を送り出す際に抱く切実な願いだ。だからこそ、舞台へと向かう生徒の背中には「本番は集中も大切だけれど、あなたの好きなように、楽しんで演奏してきてね。応援しているよ」と声をかける。あわせて、演奏家としての本質である「会場のピアノの響きをよく聴き、自分の音がどう届いているかを意識すること」の重要性も、欠かさずアドバイスとして添えている。

そして、審査員から贈られる丁寧な講評は、秋田先生にとって貴重な指導の糧になっている。コンクール後の最初のレッスンでは、録音・録画した本番の演奏を生徒と一緒に聴く時間を設けているのだ。

「審査員の先生方から頂いたアドバイスを参考にさせて頂いた上で『本人が表現したかったこと』と『客観的に聴こえていたこと』を照らし合わせ、次の本番でより良い演奏が出来る様にレッスンで活かしています」

この一連の経験を通じ、生徒の意識はより能動的で意欲的なものへと変化していくという。

さらに秋田先生が魅力に挙げるのが、本コンクール独自の「自由曲制」がもたらす副次的な学びだ。

「本番では様々な曲が演奏されますが、生徒さんは本番で多種多様な演奏を聴く事で、『今度はあの曲を弾いてみたい!』と興味や、演奏における次の目標を持ち帰ってきます」

舞台で自分が弾くだけでなく、他の演奏者の音楽に触れることで、生徒の中に新しい扉が開いていく。それもまた東京国際ピアノコンクールならではの体験なのである。

「たとえ一回で思うような結果が出なかったとしても、挑戦の過程で良い演奏を目指して毎日練習を重ねて切磋琢磨したこと、そして緊張感の中で舞台に立った経験は、必ず生徒さんの大きな力になる」

その確信こそが、秋田先生が一人ひとりの歩みを支え続ける原動力となっている。

「ウィーン公演」が拓く、その先の景色

出典:モーツァルトハウス・ウィーン

東京国際ピアノコンクールが掲げる「国際」という言葉は、単なる名称ではない。それは、若き才能や熱き愛好家たちに用意された、世界へと繋がる具体的な「滑走路」を意味している。

第13回コンクールでも、本選入賞・入選者には「コンクール入賞者によるウィーン公演」への出演権利が進呈される。さらに、ウィーン国立音楽大学のセミナーや、フレデリック・ショパン音楽大学(ワルシャワ)の国際ピアノマスタークラスといった、欧州各地の研鑽プログラムへの道も開かれている。海外音楽大学マスタークラスへの派遣助成オーディションも継続的に実施されており、この舞台は単発のコンクールに留まらない、長期的な音楽キャリアの起点として位置づけられている。

3歳のキッズから60代以上のマスターズZまで、世代を問わず、誰もが「その先の景色」を視野に入れられる。「国際」の二文字が示す広がりは、舞台に立つ一人ひとりの音に、確かな手応えを与えている。

私たちは「最初の一音」に何を託すのか

音楽コンクールガイド

審査員、参加者、そして指導者。立場は違えど、彼らが一つのステージに集うとき、その視線は一つの主題に向かって収束していく。それが、「一音一音に込められた想い」だ。

北野先生にとって、音は「演奏者の持つ名刺代わり」である。その一音から作品への理解や共感の度合いを読み取ろうとする姿勢は、先生自身が今なお舞台に立ち続けているからこそ培われている。近年、1台4手(連弾)のリサイタルに継続して取り組み、その魅力を学生指導の現場にも還元している北野先生。自ら舞台に立ち続けるその姿勢こそが、参加者が放つ「一音」を受け止める土壌となっている。

一方で、参加者である櫛部さんにとっての「一音」は、専門家という第三者の意見を仰ぐための、誠実なプレゼンテーションの始まりである。「講評で自分の演奏を客観的に捉えたり、楽曲の解釈について新しい発見があったりする」ことに、彼女はピアノと関わる新しい喜びを見出している。一音を響かせることで、自分一人の練習では到達できなかった「楽曲の新しい姿」が、審査員の言葉を通じて鮮やかに浮かび上がる。

そして、指導者である秋田先生にとっての「一音」は、生徒が「会場のピアノの響きをよく聴き、自分の音がどう届いているかを意識」した結果として放たれる、成長の証そのものだ。「音楽を学び、コンクールを経験することで、豊かな人間性を育み、自身の可能性を広げてほしい」──その願いを胸に、秋田先生は今日も生徒たちが生み出す一音一音を、かけがえのない成長の糧として見守り続けている。

それぞれの挑戦に、同じ敬意を

東京国際ピアノコンクール
©東京国際ピアノコンクール

審査員である北野先生は、舞台への一歩を迷う人々の背中をこう押す。

「舞台で演奏するということは楽なことではありません。最初は緊張して手が震えることもあるでしょう。1分、あるいは2分、集中して乗り切ってください。いつしか身体と心はリラックスしてきます。そうすればしめたものです。舞台に立つこと、演奏することは、音楽を聴き手と共有し、共感しあうということです。その喜びが皆さんを待っています。ぜひ挑戦してください!」

挑戦者である櫛部さんは、自身の経験から迷える大人たちに寄り添う。

「迷うならば一度思い切って挑戦されることをおすすめします。周囲の『コンクールとはこうあるべきだ』という騒音を気にすることなく、それぞれの目標やペースで参加されたら良いと思います」

そして、指導者の秋田先生は、コンクールに挑戦する意義をこう定義した。

「コンクールは、長い音楽人生において今の力を試す良い機会です。自分の演奏に対して良い評価を頂けた時は自信に繋がりますし、たとえ一回で思うような結果が出なかったとしても、挑戦の過程で良い演奏を目指して、毎日練習を重ねて切磋琢磨したこと、そして緊張感の中で舞台に立った経験は、必ず生徒さんの大きな力になると思います。皆さんが舞台の上で、自分にしか出せない『最高の音』に出会えることを、心から願っています」

自分自身の「今」を音にする。その勇気こそが、新しい扉を開く鍵となる。3歳からマスターズZまで、参加者の挑戦を全力で受け止めてくれるこの舞台で、あなたにしか出せない「一音」を響かせてほしい。新たな音との旅は、ここから始まる。

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